寄稿: 「ユダヤ百科事典 第2版」の刊行によせて

ユダヤ学の教典ともいうべき "Encyclopaedia Judaica"の
第2版が、2006年12月ついに刊行されました。

この第2版が出版される意義を、東西の両雄である
東京大学文学部の市川裕先生と
同志社大学大学院の手島勲矢先生に語っていただきました。




東京大学 文学部教授(宗教史学・ユダヤ教) 市川 裕先生の寄稿を読む

同志社大学大学院 神学研究科 手島 勲矢先生の寄稿を読む

マルクス、フロイト、アインシュタイン…。
2006近代西欧に陸続と輩出したユダヤ人の代表的天才たち。
数え上げればきりがないが、なぜ、かくも多くの優れた知性が、
19世紀のわずか百年の間に生まれてきたのだろうか。
ユダヤ教を専門とする私にとっては、ミシュナ・タルムード研究と並んで、
近代西欧の「ユダヤ人解放」ほど、興味を刺激される研究対象はない。
その時代にも、ユダヤ百科事典が刊行されていた。

場所はドイツである。
そこは、19世紀から20世紀の前半にかけて、
かつて類を見ないほどにユダヤ人が繁栄を謳歌した場所であった。
思想、文学、科学全般、金融、貿易をはじめとして、
あらゆる分野に進出したユダヤ人にとって、
百科事典を編纂することは、
人類の文明に寄与するユダヤ人の普遍的役割を確認することだったかもしれない。
そしてその後も、米国や革命以前のロシアでユダヤ百科事典が刊行された。
しかし、わたしたちは、その後に起こったユダヤ人の悲劇、否、人類の悲劇を知っている。
ホロコースト、あるいは ショーアーによって、
ドイツばかりでなく、東欧のユダヤ人全体がほぼ壊滅したのであった。
犠牲者は、当時のユダヤ人 全人口の三分の一に及んだ。
想像を絶することである。
そのわずか3年後、パレスチナにユダヤ人国家が誕生した。

そしてその四半世紀後の1972年に、
エルサレムから刊行されたのが、この「Encyclopaedia Judaica 全16巻」であった。
新国家イスラエルには、欧州諸国からの移民のみならず、
イスラム諸国からのユダヤ人が参集し、それこそ世界中からユダヤ人が集まった。
まさに全世界的視野で、三千年に及ぶ世界の歴史と、
あらゆる分野におけるユダヤ人の足跡が集大成されたのである。

そこには、ショーアーで滅んだ欧州のユダヤ人の存在証明も克明に記録され、
蘇生したユダヤ人近代主権国家のあらゆる活動が記録されることになった。
そして、それから30年の歳月が流れた。
世界は、どれほどに成長したのだろうか。
それは単に年月を重ねただけではない。
ユダヤ人の人口が、やっとショーアー以前の人口まで回復した歳月でもあった。

「Encyclopadia Judaica 第2版 全22巻」の刊行には、そうした興味と意義が含まれている。
近年、日本でも、ユダヤ教そのものに対する関心がかつてないほど高まった。
出版界では、ユダヤ教の概説や関連研究書籍の刊行も進んでいる。
確かに、ユダヤに関することならどんな事柄でも、もっとも信頼できる知識の宝庫が
この「Encyclopaedia Judaica」である。

しかしそれ以上に、ユダヤ人の歴史を振り返るとき、
この百科事典がもつ重みが地球全体の重みにも匹敵するほどの意義をもつと思えるのは、
ひとりわたしだけのことではあるまい。








2006年、「Encyclopaedia Judaica 第2版」が発売される。
この出来事は、ユダヤ学研究史から眺める私にとって、感慨深い出来事である。
一つの時代の節目を感じてならない。
そもそも、ユダヤ百科事典という発想は、19世紀に誕生したユダヤ学の発生を抜きには語れない。
ヨーロッパ近代化の過程で、
ユダヤ人は、自分の隣人であるキリスト教徒に
自分の存在を冷静に理解してほしいという願いを持つと同時に、
ユダヤ人自身も近代社会に自分を適応させるために、
ユダヤ・アイデンティティの再定義を必要とした。

そこで、ユダヤ人は自らの歴史と宗教について歴史的な研究を行い
偏見のないユダヤ認識(ユダヤ学)を確立しようとしたのである。
いわば、その200年近いユダヤ学研究の結実が、
1971-1972年に発表された「Encyclopaedia Judaica」(ケテル社版)であり、
また、その後完成したヘブライ語の総合百科辞典
「Ha’entsiklopedyah Ha’ivrit」(1949-1985年)なのである。

しかし、ユダヤ百科辞典の嚆矢は「The Jewish Encyclopedia」(1901-1905年)であろう。
現在でも、この辞典の多くの項目は、その価値を失っていない。
そして、これを契機に、様々なユダヤ百科事典が出版された。
その一つが、ヘブライ語によるユダヤ百科辞典「Otsar Yisrael」(1907-1913年)である。
伝統的なユダヤ人のための百科事典をめざし、
「The Jewish Encyclopedia」では無視された多くのユダヤ人の関心事が収録された。
またロシアでは、歴史学者ドゥブノフが一部編集を手がけた
ロシア語ユダヤ百科事典「Evreiskaia Entsiklopediia」(1908-1913年)が、
ドイツでは、ブーバーらの文化シオニストたちの影響を受けて編集された
「Jüdisches Lexikon」(1927-1930年)が出版された。
アメリカでも改革派の意見を反映した
「The Universal Jewish Encyclopedia」 (1939-1943年)が発表された。
また資料価値の高い「Yiddishe Folks-Entsiklopedye」他、枚挙すれば限りが無い。

ただ、歴史学としてのユダヤ学の水準を問うならば、
西欧よりも東欧の方が研究において高く深い。
その意味で、1923年、ロシア出身のJakob Klatzkin(ユダヤ思想研究)と
Nahum Goldmann が共同してドイツで立ち上げた「Encyclopaedia Judaica」(Eshkol) の計画は、
東欧のユダヤ学と西欧のユダヤ学の知的統合・整理を行おうとした点で決定的な計画である。
1932年までにドイツ語で9巻までが発表され、
ヘブライ語版も2巻までが発表されたが、
ナチ当局の手が及んだためにJakob Klatzkinはスイスに逃げ、
その時点で、この計画は頓挫する。
戦後、再びNahum Goldmann は、Klatzkin亡き後も百科事典の完成に努め、
1971年、二人の志は「Encyclopaedia Judaica」(ケテル社版) として新しい内容で完成された。

「Encyclopaedia Judaica第2版」の発表は、
ユダヤ学の価値向上において、また近代ユダヤ精神のコンプレックス(複雑さ)を表現するにおいて、
一つの節目になると期待される。





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