London Times について
「London Times(ロンドンタイムズ)」は、1785年1月1日に印刷業者のジョン・ウォルターにより、
「The Daily Universal Register」の名で創刊されました。
保険業を廃業して印刷所を開いたウォルターは、当時「ロゴタイプ」と呼ばれる印刷技術の特許を保有しており、
「The Daily Universal Register」の目的もその宣伝を狙ったものでした。
しかし、ロゴタイプが不評に終わるとウォルターは新聞に力を注がざるを得なくなり、
1788年「The Times」と改名、報道新聞として再出発します。
創刊当初の「タイムズ」は、政府への支持やスキャンダルの黙認と引き替えに賄賂を受け取る、
ごく普通のありふれた新聞でした。
しかし、1803年に転機が訪れます。
当時ヨーロッパを騒がせていたナポレオン戦争について、迅速で正確な報道を求める
新しい読者層が存在していることを感じ取った経営者のジョン・ウォルター2世は、
郵便局員を買収して海外からの急送文章を受け取り、ヨーロッパの新聞を集め、
独自の情報収集ルートを構築します。
これにより、大陸の情報を英国政府より早く入手することに成功し、
1805年のトラファルガーの海戦では海軍による公式報告が政府に届く数日前に、
「タイムズ」は英国の勝利を報道することができました。
1814年には蒸気力による輪転印刷機を導入、大量印刷の開始によりかつてない読者数を得、
広告依頼主の要望に応えるだけの部数を発行することを初めて可能にしました。
部数の増加により、政党や個人からの賄賂に頼る必要はなくなりました ? 真に中立的な「タイムズ」の誕生です。
19世紀半ばには、ニューヨーク、パリ、マドリッド、リスボン、ブリュッセル、ハーグ、コンスタンチノープルに
特派員を置き、ディズレイリやサッカレーン・デレインのもと、発行部数は70,000部に達し、
「タイムズ」は報道史上かつてない影響力を持つようになります。
1853年にロシア・トルコ間で戦争が勃発すると、「タイムズ」はロシアへの宣戦を叫び、
翌年ロシア皇帝は「タイムズ」を通して英国の宣戦布告を知ります。
バルカン半島での戦争が行き詰まると、「タイムズ」はクリミアで継続する可能性があると報道、
事実その通りになりました。
「タイムズ」特派員のウィリアム・ハワード・ラッセルは世界初の従軍記者となり、
フローレンス・ナイチンゲールは「タイムズ」の報道により一夜にしてヒロインとなりました。
そして、ロシアが「タイムズ」によって提案された講和条件を受け入れると、
英国政府もまた「タイムズ」を通じてその事実を知ったのです。
1885年に「タイムズ」は、アイルランド自治運動の指導者パーネルが
1882年のアイルランド大臣暗殺事件に関わったことを示唆する書簡を掲載しました。
その後この書簡は偽物であることが判明し、「タイムズ」は発行部数の低下と、
裁判で失われた20万ポンドによる財政難に苦しむことになります。
1908年、アルフレッド・ハームズワースが経営者となると、
低迷する「タイムズ」の機構を一新する近代的な改革が次々に行われます。
タイプライター、自動組版機、近代型印刷機、セールスマン、新しい紙面構成、文芸付録、教育付録などが
「タイムズ」を変えます。
さらに1952年にウィリアム・ヘイリーが編集長になると、一面に配置されていた広告記事を移動し、
より活気に満ちた記事内容で再び「タイムズ」を名誉ある新聞の地位に戻しました。
その後、第一次大戦、北京包囲、ロシア革命、アイルランド自由国、ツタンカーメンの墓、
リンドバーグの大西洋横断、大恐慌、ヒトラー台頭、エドワード8世退位、第二次大戦、
インド独立、エヴェレスト登頂、中東問題、ウォーターゲート事件、ベルリンの壁崩壊、
湾岸戦争、香港返還などが「タイムズ」紙面を賑わしました。
新式の印刷技術を宣伝する小さな定期刊行物として始まった「タイムズ」は、
200年余にわたる歩みの中で近代報道術を確立し、その洗練された紙面は世界各国における新聞の模範となりました。
また、大英帝国全盛期の世論を代表し、数々の歴史的事件の証人となったのみならず、
実際に歴史を動かし、世界を変える力を持った稀有な新聞でもあります。
「タイムズ」の勝利は、「大衆」が歴史を動かす近代民主主義の勝利でもありました。
「タイムズ」の膨大なバックファイルへの参照なくして、本格的な近代史、現代研究は不可能であると言えましょう。
